きゃの録

きゃのの備忘録。

対価

風邪だと思っていたけれど、もしかすると線香に弱く、それによって喉が痛く鼻がつまるのかもしれない。
そう思いながら、息苦しさもあって朝までほぼ寝ることができなかった。

主人を送り出してから、午前中少し眠れたが、起きるとまた後悔の念が襲ってきて泣いてしまった。

こうしてゆっくり浸れる時間があるからこそ、こうできることもわかっている。
こういうときの自分はとことん自罰的になる傾向がある。
こんな自分には何も与えたくないし、大切なものを捨ててしまいたい衝動に駆られる。

主人はこういうときあまり何も言ってこないがそれはそれで寂しく、だが昨日母親に優しい慰めの言葉をかけられて泣いてしまったので、そういう優しさもまた今は怖いところもある。


私は、特に結婚してから対価という感覚を忘れていたな、と思った。

少しでもいいものを安く、常にそういうものを求めすぎて、何を選ぶにも比較し、ちょっとでもお得な方を探そうとしてしまう。

もちろん生活していくために、そういう努力や知恵も必要だ。
同じ商品なら、もちろん値段比較して安いものを買った方がお得だ。ものは変わらないから。

でも、これがかけるべきところにもかけられなくなると害悪になってくる。
事実、私は今回そこを気にしてしまった部分があった。
同等のサービスを受けられるなら、少しでも安い方にしてみよう、という邪心が働いてしまったのだ。

その結果、私はその浮いた分の何倍もの後悔を味わうことになった。

もともとお金の勉強が好きなこともあり、対価を払うということへの重要性は頭ではわかっているつもりだった。
けれど、日々の生活の中で安いものをよしとし探す癖がついていると、いざというときにもこうして肝心な判断が鈍り、邪魔になってしまうのだと痛感した。

もっと、ちゃんとお金を誠実に使えるようになりたい。
出すときには出して、悪い物には流さないように。
もっと日々、その訓練をしていかなければと思った。

食べる気力もまったく湧かないが、何なら食べられそうだろう、と思った時に浮かんだのはパンだった。
量産された安いパンじゃなく、パンを好きな人が、愛をこめてつくったパンが食べたい。

そういうことなのだ、きっと。