きゃの録

きゃのの備忘録。

いつだってスタンドプレイヤーだったじゃないか、君は。

漠然と、誰かと何かを一緒にしたいなあと思うことがよくある。

ここ2年ほどは少なくとも年の半分以上は旦那が帰ってくるまではひとりで過ごしている私だが、ひとりが好きな半面、誰かと何かをする、というのもまた強く渇望している節がある。

この場合の「誰かと何かをする」はただ一緒に遊びたいとかそういう類のものではなく、何かを一緒につくりあげたいとか、同じ方向を向いて何かを一緒に達成したいというようなそういう類のものだ。

思えば子供の頃から、「仲間」というものに異様に憧れているようなところがあり、今でもそれができている人を見ると羨ましく感じることがある。

だけど、大人になってふと思う。

小学生低学年の頃、どちらかというと目立つ方だった私はクラス全員の前でバレンタイン会なるものを企画し学級会の如くクラスの男子全員に参加希望を聞いたりなどしていた。

恥ずかしい。
現在のただの問い合わせの電話すら億劫でなかなかかけられない自分からは考えられない。

そして、転校先の小学校ではなぜか私が創作した小説のようなものをホームルームのような時間にクラスのみんなに先生が読み聞かせるという謎の時間が設けられたこともあった。
今考えると何でそんな展開になったんだろう。おかしい。恐ろしすぎる。
そのときひとりの男子に言われた、「お前のおかげで授業がつぶれてよかったよ」みたいな皮肉がいまだに忘れられない。

さらに友達と組んで何かを調べて資料をつくり発表する、という課題があったときに、私は頑としてひとりでやることを主張し実際にひとりで全部つくって発表したり、友人とお弁当を食べる際は、固定のグループに属さずその都度声をかけて毎回違うグループで食べるみたいなことをやっていた。

その後いろいろなことを経て私は「主張すると損なことしか起こらない」という結論に至り、どれだけ目立たずに事なかれ主義で生きていくかという方向に中2あたりでシフトチェンジしてしまうのだが、これがよかったのか悪かったのか20年以上経った今ではわからない。

つまり、私のそもそものベースはすごい我が強くてスタンドプレイなのだ。
怖いものをまだ知らなかったために、幼少時の私は思うままにそれができていた、という話。

そこを繕うようになったから、以降は普通に集団の中ではうまくできないことも多くて、大学で憧れていた仲間のいる生活も最初にできてしまったグループがあまり合わず、楽しみにしていた軽音サークルも合わず、その後入り直した専門学校も合わずにさらにノイローゼ気味になり、社会人になれば組織が合わずで散々挫折してきた。

いまでも全然彷徨って自分のダメさに嫌になる方が多かったりするけど、そもそも自分が考える「ダメ」って何なんだろうと考えると「ちゃんとできていない」と思っていることだったりする。
本来ならもっと周囲とうまくやれるべきだとか、普通の人だったらこれくらいはできるべきとか、自分で「こうあるべき」ラインを勝手につくってしまって、勝手に苦しくなっている。

これって年齢でもそうで、「30代半ばにもなって」などと考え始めると途端に苦しくなる。「にもなって」とはそもそもどこの尺度で見てるんだろう。一般的か、統計的か、それとも誰かの意見か。
そこに入ることで、ただ安心したいというそれだけのために、その中に入りたいと思っている自分がいる。

そんな中でも、ハッキリと「この時代は楽しかった」と言えるときがあって、

  • 中3:気の合う2人とグループでよく遊び、一緒に受験勉強したこと
  • 大学生:バイト先の仲間と深夜に語り合ったり、一緒に遠出したこと
  • 27歳:勤務先の仲間と家に集まったり外でお茶会などしたこと

の3つがある。
つまり、ベースにはスタンドプレイがあるんだけど、そんな自分を受け入れてくれる仲間と、何か一緒のことをしたときに私は強く喜びを感じるらしい。

ここが、自分がひとりは好きでも「ひとりで黙々と作業をする」タイプではないと感じるところであり、職人系ではないんだなあと思うところ。

で、ここ2~3年はこの「誰かと何かをしたい」というのをものすご~く感じているわけなんです。

昨年は思うだけで終わってしまったので、今年はまずどんな形でもいいから自分がいろいろと発信して、そこへ向けて積み立てていきたいなと考え中です。