きゃの録

きゃのの備忘録。

お前はもっと、世界に触れろ

今日Twitterで、『長く東南アジアで暮らした人がひさしぶりに日本に帰ったら、「完璧じゃないことをみんなで批判しみんなで罰する社会」になっていることに驚いた』、という呟きを見た。

 子供の頃から生きることにはどこか息苦しさを感じ続けて、大人になれば何か変わるのかもと期待しながらも、実際はいろんなものが見えれば見えるほどその息苦しさはより強くもなったりしている。
逆に、何でも自分で選べる大人になった今、もう二度とあの子供時代には戻りたくないなあとも思ったりする。

30代になって、「いまの世の中って…」なんて思ったりもするけど、学生時代に耳にしていた「秩序のない現代にドロップキック」とミスチルが歌っていたのはなんと24年前。そう考えると、今も昔も世の中にモヤモヤしてるって意味ではたいして変わってないのかもしれない。

身体のバイオリズムにもよるのだろうが、めちゃくちゃ生きてることを楽しく感じることもあれば、めちゃくちゃ恐ろしく感じたりもする。
暗いニュースも聞き続けていると段々それに飲み込まれてしまい、自分は全く事件には関係ないにも関わらず必要以上に寄り添ってしまうことも多々ある。こんなときみんなはどうしてるんだろう?と思うのだけど、友人に相談したところ「感受性が豊かなんだね」と返された(これまで何十回と言われてきたけれど、この返しが私は嫌いである)のでおそらく全く気にならない人もいるんだろう。

私は聴神経腫瘍によって片耳の聴力を失っている。
普段はそこまで気にせず今は暮らせているのだけど、突如としてなぜかそのことについて気にしだしたりする。そのきっかけは「片耳が聴こえない大変さ」について語られたものを見たときや、「健常者」との違いについて語られていたりしたのを見たときであったりする。

もう片耳になって4年が経つのにまだそういうところで揺らぐんだなあと自分でも思うが、そこについても外部の刺激によって不安定になるといういわゆる「感受性の強さ」ってやつなのかもしれない。

でも、手術を受けるまでの私はもっとなんか勇敢だった気がするのだ。
最初の突発性難聴の症状から、まさかの脳(聴神経)腫瘍の発覚、初めての手術が開頭手術になるという不安、自分の意志ではどうにもならない症状、あの時の方がよほど苦難に向き合っていたと思うのだけど、とにかく手術待ちの7ヶ月の間気持ちを挫けずに強く持つことに全神経を注いでいた。我ながらあのときの自分はよくやった。

そのとき私が何を心がけていたか?というと、大きく挙げるなら

  1. 同じ病気や、他で闘病している人でポジティブな闘病記のみを見る
  2. 身内と極少人数の友人にしか手術までは病気について話さない


の2点。

まず1については、入院・手術をしてからより痛感したのだけど、例えば全く同じ病気・症状の人がいてもネガティブまっしぐらになる人もいればポジティブに考えられる人もいるように、受け取る方の姿勢で感じることは全く異なる。
幸い、同じ病気でポジティブな闘病記を残してくれていた方が数人いたので私はとにかくその闘病記を読みこみ、手術や入院生活、メンタルのイメージを自分に植え込んだ。
実際にメールでやり取りもさせて頂いたりして、「片耳でも、問題なく暮らせていますよ!」という力強い言葉も頂いたりしていた。

2については、私にとって多数の人に話すということは、その数だけ病気について説明し、それについての反応を受けとめなければならないということだった。
一から説明するということは、「自分は病気だ」と無意識に自分に言い聞かせることになるのでできるだけ避けたいと思い、さらに相手の反応によって傷ついたり変に思い悩んだりするストレスや、それが蓄積されて後々思い出したりする事態を避けたいとの思いからだった。

結果、この2点はかなり効果があった。
それでいま思うと、これって普段の生活でこそ心がければいいんじゃなかろーか。

私が若い頃影響を受けた安野モヨコさん著『美人画報ワンダー』の中に、こんな安野さんの言葉がある。

 美しい人はいい。美しい物もいい。
 美しい風景、美しい言葉、美しい音、光、香り。この世に美しいものは溢れかえっています。しかもそれを見たり感じたりするとものすごく気分もいい。体調がよければ自分自身も美しい。
 それなのに私、ついうっかりとわざわざ美しいものに耳を貸し、目を向け、美しくない感情にあおられ、美しくない心について怒ったり嘆き悲しんだりしていました。
 すると不思議なことにどんどん体調も頭も悪くなって、美しくなくなっていったのです。


読んだ当時も胸に響いたのだが、まさに最近の私もこれだったなあという気がしていて、とにかくネットを見過ぎである。
ツールで言えば長年Twitterを一番使用しているのだけど、ここ最近はお客様掲示板や学級会色が強い感じがあってちょっと趣が変わっちゃったなあと。

それでも楽しい呟きもたくさんあるので辞める予定はないけど、見る必要のない言葉を目にして無駄にダメージを受けることも多くて、ちょっと付き合い方を真剣に考えないとなと思ってるところ。
あともう癖になりすぎて、気付くと画面を開いてるんですね。怖い。
そのダメージ受けてる時間と、ダラダラ見続けてる時間をちゃんと計測したら1年でかなりのものになる気がするので、その時間をもっとなんかいいことに使いたいな、と思ったわけであります。

先日ひさしぶりに小説を読み始めたら、自分ではうまく説明がつかないような感情をよくこんなに巧みに表現できるなあと感動すら覚えたので(ちなみに宮部みゆきさんの「ソロモンの偽証」)、いつの間にか遠ざかっていたいろんな世界と触れ合わなければなと、痛感した次第です。

ハローハロー世界。