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きゃの録

きゃのの備忘録。

他人の生活は、癒しなのかもしれない

もういい歳なんだし、こんなトラブルなんかで凹んでなんていられない。
そう思いながらも、ここ数日がっつり凹んでいたこともあり、地元の長年の友人に電話した。

彼女は高校1年生のときからの友人で、当時クラスの中で唯一、半年ほど一度も喋ったことのなかった1人である。それが、いまや20年来の親友になっているのだからアメージング。

何てことないことを喋るだけなのだが、お互いにもういろいろとわかっているため、話す内容は「わかる、わかるよそれ!」ということのオンパレードで、もし「わかるボタン」が手元にあったら連打したい衝動に駆られた。

そんな感じで2時間しゃべり続け大笑いして電話を切ったら、だいぶいつもの私に戻っていた。結婚してから余計に、こういう時間がたまにないと本当にやっていけないと思う。気心の知れた友人との他愛のないおしゃべりが、どんなリラクゼーションよりも、よく効く。

 

もう10年は前、結構辛い時期だった頃よしもとばななさんの日記本をよく読んでいた。

よしもとばななドットコム見参!―yoshimotobanana.com (新潮文庫)

よしもとばななドットコム見参!―yoshimotobanana.com (新潮文庫)

 

 

エッセイでもなく、よしもとばななさんがウェブで書いている日記をただただまとめたものなのだが、当時の私にとってはこれが本当に癒しだったのである。

よしもとばななさんの何でもない毎日の喜怒哀楽や日々の暮らしが、どんな有能な指南書よりも私の救いだった。ばななさんもこんなことで怒るんだ、こういう理不尽なことってあるある、と思えるだけで、少し心が楽になった。

いまや巷にはいろんな教訓やノウハウが溢れていて、私にはこんな崇高なことはとても言えないなあと落ち込んだりもするのだけど、私が書いていきたいのはそういう何てことないことなのかもな、とふと思った。それがあの頃の私のように、誰かの役に立ったりするのなら、本望である。