きゃの録

きゃのの備忘録。

タピオカドリンク

タピオカドリンカーな私。

台湾の格安でドッシリ飲めるあの感じが好きなのですが、意外と近い場所になかなか好きな感じのタピオカドリンク屋さん発見。


20180730001802

15周年ということは、きっと結構有名…なのね!
味の種類の感じとか、タピオカや甘さが選べる感じも台湾ぽくてとてもよい~
いろいろ試してみたい。
今日は杏仁ミルクティー、ブラックタピオカで甘さハーフにしました。

買った時に、この前さっしーのツイートで見た飲んでみたいと思ったところかも!となぜか早とちりして喜んだものの、全然違った笑


フォーレかあ~~~

確か台湾ティースタンドは今後日本でもかなり本格的に拡大していく予定だと、ちょっと前に何かで目にして歓喜していた。

実際に都内ではかなり続々とできているっぽい。

www.vogue.co.jp

ikebukuro.keizai.biz


こうして残しておかないと、お店を忘れてしまうので覚書も兼ねて笑
そういえば数ヶ月前に、こちらも飲んでいました。



鹿角巷「THE ALLEY (ジ アレイ)」。
あるときからルミネのところで行列になっていて知ったお店、今でも並んでいるけど一度は飲んでみようと思ってちょうどルミネに行ったときに飲んだのでした。

これはロイヤル No.9 タピオカミルクティーだったと記憶。

美味しかったのだけど、たぶん30分は待ったので台湾での安くてお気軽に立ち寄って飲める感じが好きな私としては求めている要素が違うというか、そこまでしてではないかな…と正直思ってしまった。

ゴンチャも飲んでみたいけど、こちらもいつ見ても行列なのでまだ未経験。

都内だからしかたがないのかもしれないけど、願わくばもう少し気軽にふらっとに飲める感じになってくれたら嬉しいなあ。

心の拠り所

ひとりめそめそして疎まれる女と、わあわあ泣き叫んでも受け入れてもらえる女は一体どこが違うんだろう。

私は圧倒的前者なので、後者の人をたまに羨ましく思う。
あれだけ自分を解放しながら、なおかつ受け入れられるなんて、贅沢だなあと感じてしまう。

こっちはひとりでどうにかけりをつけようとしているってのに。

めそめそするような暗い女はお断りってか。
そうなのかもしれない。

前の記事を書いたあと、家にいたら気が滅入る一方だったので本当にパン屋に向かってみた。
ずっと行こうと思っていた、少し遠くにある、ネットの評判が気になっていたパン屋さん。

いざ行ってみると、住宅街の中にささやかにあった。
引き戸を開けて入るとこざっぱりとしたとても気持ちの良い店内で、入るなり店の人が「せっかく来ていただいたのに、もう種類が少なくてすみません」とこれまたとても気持ちよく声をかけてくれた。

そこは珍しく、自分でショーウィンドウの扉を開けて中のパンを取る、という方式で私はそれも気に入った。

3つのパンを取ってレジに行くと、違うスタッフさんがまた同様に声をかけてくれた。
いまの私には、その感じのよさと気配りに触れられたことが何よりも心に沁みた。
帰りもわざわざ扉を開けて見送ってくれ、私は一気に好きになった。このお店に来てよかった。

好きな店がある、ということは、それだけで人生を大きく支えてくれることがあると思う。だから私は昔からお店というものがとても好きだ、ジャンルに関わらず。

もしかしたら私も何かそのような場所を自分で作りたいのかもしれないなあ、とも思う。でもビジョンが浮かばないから、そうだとしても今ではないのだろう。

f:id:qkyano:20180622021734j:plain


わざわざ少し遠くまで歩いて、川を見ながらカレーパンとクリームパンを食べた。

学生の頃広瀬側が割と近くにあり、私はよく河原へ行っていた。
友達と駄弁るとき、ひとり考えごとをしたいとき、高校で好きな人に振られたときも、友達と学校をさぼって1日広瀬川にいた。
私は広瀬川がものすごく好きだし、今でもあの川を見ると心の拠り所という感じがする。

東京に住んでいるいまも、幸い近くに川があるのだけど、残念ながらそういう存在にはなっていない。やはりこういうときは広瀬川が恋しいな、と思う。

東京に住んで5年、いつ離れるかはわからないけど、そういうお店や場所をもっとコツコツとためておきたいな。こういうときのために。


そのあとも家に帰りたくなくて、日が暮れたあとも家の下でチャリに乗り換えてノロノロ適当に走っていたのだが、普段通らない公園のベンチで女の子が男の子の上に跨った学生カップルが堂々とイチャついてるのを見てしまい、何だかものすごく心が萎えてそのまま帰ってきた。
それぞれがそれぞれのときを過ごしているなあ、と感じた。

対価

風邪だと思っていたけれど、もしかすると線香に弱く、それによって喉が痛く鼻がつまるのかもしれない。
そう思いながら、息苦しさもあって朝までほぼ寝ることができなかった。

主人を送り出してから、午前中少し眠れたが、起きるとまた後悔の念が襲ってきて泣いてしまった。

こうしてゆっくり浸れる時間があるからこそ、こうできることもわかっている。
こういうときの自分はとことん自罰的になる傾向がある。
こんな自分には何も与えたくないし、大切なものを捨ててしまいたい衝動に駆られる。

主人はこういうときあまり何も言ってこないがそれはそれで寂しく、だが昨日母親に優しい慰めの言葉をかけられて泣いてしまったので、そういう優しさもまた今は怖いところもある。


私は、特に結婚してから対価という感覚を忘れていたな、と思った。

少しでもいいものを安く、常にそういうものを求めすぎて、何を選ぶにも比較し、ちょっとでもお得な方を探そうとしてしまう。

もちろん生活していくために、そういう努力や知恵も必要だ。
同じ商品なら、もちろん値段比較して安いものを買った方がお得だ。ものは変わらないから。

でも、これがかけるべきところにもかけられなくなると害悪になってくる。
事実、私は今回そこを気にしてしまった部分があった。
同等のサービスを受けられるなら、少しでも安い方にしてみよう、という邪心が働いてしまったのだ。

その結果、私はその浮いた分の何倍もの後悔を味わうことになった。

もともとお金の勉強が好きなこともあり、対価を払うということへの重要性は頭ではわかっているつもりだった。
けれど、日々の生活の中で安いものをよしとし探す癖がついていると、いざというときにもこうして肝心な判断が鈍り、邪魔になってしまうのだと痛感した。

もっと、ちゃんとお金を誠実に使えるようになりたい。
出すときには出して、悪い物には流さないように。
もっと日々、その訓練をしていかなければと思った。

食べる気力もまったく湧かないが、何なら食べられそうだろう、と思った時に浮かんだのはパンだった。
量産された安いパンじゃなく、パンを好きな人が、愛をこめてつくったパンが食べたい。

そういうことなのだ、きっと。

次男坊モルの死に想うこと

6/18、我が家の次男坊モルモットが虹の橋を渡って行った。6歳2ヶ月だった。

昨年末からお腹から水音のようなものがするようになって、病院でも診てもらったけれど、年齢も年齢であること(そのときで5歳半すぎ)と、何かお腹に石のようなものができているのは間違いないが、取るとなると手術がものすごく負担になってしまうのでご判断にお任せします、という感じだったので、長男坊モルモットの闘病の経験から次男坊は無理に延命せず、自然に寿命で逝かせてあげようということに決めていた。

なので、その頃からいつも心の隅にはそのことを留めていたし、いつそのときが来てもいいようにできるだけ写真も撮り、思った時にはいつも「かわいいね~!」と声をかけて頬ずりしていた。

だから、18日に突然そのときが来たときも、覚悟はできていた。

前日までは普通に過ごしていた彼は、気付いたときには水飲み口の下で見たことのない力を入れた体勢でたたずんでいて、抱き上げるとすでに身体が少し硬直していた。
慌てて抱っこすると、ぽたぽたと口から水が垂れた。
最初は口に入れた水が飲み込めなかったのかと思っていたけど、その後抱き続けている間に、それが体内から絶えず出てきているものだとわかった。

モルモットはそもそも吐けない動物であることと、その出ている液体から、長男坊のときに経験した死臭がしたことで、より彼とのお別れが近いことを悟った。

病院に連れて行くことも考えたが、連れて行く間や、病院で一時的に預けている間にもし息を引き取ってしまったらと思うと可哀想だし怖かった。
長男坊のときは、危ない中ほんの1時間仮眠を取った間に逝ってしまった経験からも、次男坊は絶対に最期を看取ってあげたかった。

彼はそこから2時間ほど、ずっと腕に身体を預けながら液体を吐き続け、途中少し落ち着いて上体を起こして部屋に帰るアピールをし、部屋に戻すと足をガクガクさせながら歩いて部屋でペタッとするもやはり吐いていたので、また腕の中に抱いて身体を撫で続けた。

そのときには、もう明らかに呼吸数が減っていた。
そのうち下半身が何回か痙攣して、さっきまでは声が出なかったのに鳴き始めた。そして下半身が動かなくなり、上半身は意識のある目をしていたのでずっと声をかけながら撫で続けた。気づいたときには、彼は口を大きく開けて息を引き取っていた。

ものすごく悲しかったし、泣いたけれど、今回はちゃんと最後まで傍にいてあげられたという安堵の気持ちもあった。実はこの日は、主人が珍しく泊まりの日で、せっかくだから私もひとりで遠出でもしてみようかと思っていたのだ。

もし万が一早いうちに家を出てしまっていたら、私は次男坊の死の兆候に全く気づかず、帰ってきて彼の倒れている姿を目にすることになっただろう。
そうしたら、後悔はとんでもなく大きいものになっていたと思う。

長男坊の経験もあって、私は比較的落ち着いてその後の準備を進めた。
彼をアイスノンで冷やして寝かせ、花を買ってきて飾り、好きなものをお供えして、ロウソクを灯し、ハワイアンミュージックを流した(これは個人の趣向によるもの)。

それから、2日後に火葬をすることを決めて、調べ始めた。
長男坊のときの葬儀屋さんがとてもよかったのでそこにお願いしようと思っていたのだけど、調べると長男のときよりもかなりペット葬儀屋さんの数が多くなっており、念のためいろいろと見てみた。

ここでなぜか、口コミなどを見て、お願いしたい時間帯のことなどもあり他のところにしてしまったのだが、結果から言うとこれが大きな失敗だった。

先にひとつ言わせてもらうと、決して悪徳だったとかではない。電話対応はよかったし、実際によい口コミもあり、日々の業務の様子もブログで紹介されていた。

でも選ぶ段階で、少し違和感のあるところがいくつかあった。直感で何か違和感があるときは、大抵やめておいた方がかなりの確率で正解である(と誰かも言っていた)。
そうわかっていたのに、トータル的に条件のいい方で考えてしまい結局私はそこにしたのだ。

だけど、実際に火葬の際に来たスタッフに会って、完全に失敗だったと確信した。
長男坊のときには本当に温かい心遣いや気配りがあったのだが、今回のところからはそれが全く感じられなかった。

弔うというよりも、仕事としてただその業務をこなしていることが言葉や態度からひしひしと感じられた。私は、とにかく無事に骨が残ってくれることを祈った。

結果、骨はちゃんと残っていた。だけど、最後まで長男坊のときとの違いをいろいろと感じざるを得なかった。スタッフはただ慌ただしく帰っていった。

私の中では、看取った時にはまだ落ち着いていた気持ちがだんだんもやもやしていくのを感じた。そして、あまりにも不安になりもう一度調べると、長男坊をお願いしたところのサイトにこんな注意喚起文が書かれているのを見つけた。

”移動火葬事業によくみられる、外注専門店、全国展開フランチャイズ店などには十分ご注意ください”(少し変えています)

嫌な予感がして調べていくと、今回お願いしたところのフランチャイズ案内資料が出てきた。そこで、私は自分の失敗を悟った。そこから涙が止まらなくなった。

私は、スマホだけのサーチで決めてしまったことを悔やんだ。もちろん長男坊のところも見ていたが、その注意喚起文はスマホのときには全く気が付かなかった。
それでも、結構なサーチはしたつもりだったが、なんでPCでちゃんと見なかったのか自分を責めた。

気の持ちようをどうすればいいかわからなくなった私は、本棚に向かっていた。
10年以上前に心の拠り所にし、少なくともここ5年は全く読まなくなって手放してしまおうかとさえ思っていた吉本ばななさんのエッセイに、愛犬との死がテーマの1冊があることを突然思い出したからだった(もっと詳しく言うと、最初に思い出したのは小説の「デッドエンドの思い出」の方だった)。

そこで、ここ最近はどんなに読もうと思ってもなかなか手が伸びず、1年に1冊くらいしか読んでいなかった書物というものを、猛烈に欲している自分を発見した。



実は、ちょうど今日の昼間に昨日見逃した『セブンルール』を配信で見ていた。
昨日は校閲者の牟田都子さんで、その中で牟田さんの言っていたこの言葉がとても強く印象に残っていた。

「そのすごいくたびれちゃってたときに吉本ばななさんのエッセイにしろ小説にしろ、それを読むのが本当に唯一の何も考えないで本の中にいていい時間みたいな
 すごい痛くてツラいんだけど、こんこんと湧いているあったかいお湯の中にいる間だけは痛くないからずっとこの中にいようみたいな感じ」



そして、私は意図せずまさにそうしていた。

人の命に対して自分がなにかしてあげられると思っている人も苦手。言うこときかないとおどす人も苦手。「こうしないとこうなる」という人もいや。あと、プロじゃない人もいや。プロっていうのは、自分の仕事だけを見つめている人のことだと思う。

引用:吉本ばなな『さようなら、ラブ子』


ああ、まさしくこれだ、と思った。
私は今回、プロじゃない人に愛する家族の最期を預けてしまったことに、猛烈に後悔しているんだ。それが嫌だったから、ちゃんと調べたはずだったのに。見誤ってしまった自分が許せないんだ。

そして、お風呂で気が済むまで泣いた。


少し落ち着くと、救いを求めたネットの中に「もし自分が亡くなったとしても、お骨がどんなだったとしても気にしない。だって自分はもう死んでいるのだから」というような一文があった。自分に当てはめて考えてみる。確かに私は気にならなかった。

それよりも、亡くなってからも思い出してくれたり、忘れずに心の中にいてくれた方が何倍もいいな、と思った。

火葬のことは本当に悔しいが、もうどうしたってやり直すことはできない。
それなら、その分これから何ができるのかを考えよう。
そしてもう次は同じ過ちをしないように心に留めるしかない。

と、ここまで書いてだいぶ自分の気持ちが整理された。
そして、ここでも思い出した。
もともと、こういうことを書くために私はブログを書いていたんだと。

何か外に向けておもしろいことを書こうとか、うまいことを言ってやろうとか思って書き始めると、大抵ブログは行き詰った。

そうじゃなくて、自分の心を書き留めたり、こうして文を書くことで落ち着いたり整理したり、何よりも自分を救うために書いていたんだと、いまさらながら実感した。

小さな身体で大切なことをいろいろ思い出させてくれた次男坊には、最後まで感謝しかない。そして、明日からも長男坊と合わせていろいろとしてあげよう。


いつだってスタンドプレイヤーだったじゃないか、君は。

漠然と、誰かと何かを一緒にしたいなあと思うことがよくある。

ここ2年ほどは少なくとも年の半分以上は旦那が帰ってくるまではひとりで過ごしている私だが、ひとりが好きな半面、誰かと何かをする、というのもまた強く渇望している節がある。

この場合の「誰かと何かをする」はただ一緒に遊びたいとかそういう類のものではなく、何かを一緒につくりあげたいとか、同じ方向を向いて何かを一緒に達成したいというようなそういう類のものだ。

思えば子供の頃から、「仲間」というものに異様に憧れているようなところがあり、今でもそれができている人を見ると羨ましく感じることがある。

だけど、大人になってふと思う。

小学生低学年の頃、どちらかというと目立つ方だった私はクラス全員の前でバレンタイン会なるものを企画し学級会の如くクラスの男子全員に参加希望を聞いたりなどしていた。

恥ずかしい。
現在のただの問い合わせの電話すら億劫でなかなかかけられない自分からは考えられない。

そして、転校先の小学校ではなぜか私が創作した小説のようなものをホームルームのような時間にクラスのみんなに先生が読み聞かせるという謎の時間が設けられたこともあった。
今考えると何でそんな展開になったんだろう。おかしい。恐ろしすぎる。
そのときひとりの男子に言われた、「お前のおかげで授業がつぶれてよかったよ」みたいな皮肉がいまだに忘れられない。

さらに友達と組んで何かを調べて資料をつくり発表する、という課題があったときに、私は頑としてひとりでやることを主張し実際にひとりで全部つくって発表したり、友人とお弁当を食べる際は、固定のグループに属さずその都度声をかけて毎回違うグループで食べるみたいなことをやっていた。

その後いろいろなことを経て私は「主張すると損なことしか起こらない」という結論に至り、どれだけ目立たずに事なかれ主義で生きていくかという方向に中2あたりでシフトチェンジしてしまうのだが、これがよかったのか悪かったのか20年以上経った今ではわからない。

つまり、私のそもそものベースはすごい我が強くてスタンドプレイなのだ。
怖いものをまだ知らなかったために、幼少時の私は思うままにそれができていた、という話。

そこを繕うようになったから、以降は普通に集団の中ではうまくできないことも多くて、大学で憧れていた仲間のいる生活も最初にできてしまったグループがあまり合わず、楽しみにしていた軽音サークルも合わず、その後入り直した専門学校も合わずにさらにノイローゼ気味になり、社会人になれば組織が合わずで散々挫折してきた。

いまでも全然彷徨って自分のダメさに嫌になる方が多かったりするけど、そもそも自分が考える「ダメ」って何なんだろうと考えると「ちゃんとできていない」と思っていることだったりする。
本来ならもっと周囲とうまくやれるべきだとか、普通の人だったらこれくらいはできるべきとか、自分で「こうあるべき」ラインを勝手につくってしまって、勝手に苦しくなっている。

これって年齢でもそうで、「30代半ばにもなって」などと考え始めると途端に苦しくなる。「にもなって」とはそもそもどこの尺度で見てるんだろう。一般的か、統計的か、それとも誰かの意見か。
そこに入ることで、ただ安心したいというそれだけのために、その中に入りたいと思っている自分がいる。

そんな中でも、ハッキリと「この時代は楽しかった」と言えるときがあって、

  • 中3:気の合う2人とグループでよく遊び、一緒に受験勉強したこと
  • 大学生:バイト先の仲間と深夜に語り合ったり、一緒に遠出したこと
  • 27歳:勤務先の仲間と家に集まったり外でお茶会などしたこと

の3つがある。
つまり、ベースにはスタンドプレイがあるんだけど、そんな自分を受け入れてくれる仲間と、何か一緒のことをしたときに私は強く喜びを感じるらしい。

ここが、自分がひとりは好きでも「ひとりで黙々と作業をする」タイプではないと感じるところであり、職人系ではないんだなあと思うところ。

で、ここ2~3年はこの「誰かと何かをしたい」というのをものすご~く感じているわけなんです。

昨年は思うだけで終わってしまったので、今年はまずどんな形でもいいから自分がいろいろと発信して、そこへ向けて積み立てていきたいなと考え中です。

子宮筋腫手術から1ヶ月

実は3月6日に子宮筋腫核出術を受けたのですが、ようやく1ヶ月が経過。


数年前から発見していた多発性子宮筋腫を結果的に11個腹腔鏡で核出(最初は開腹になるだろうと言われていた)し、手術前から先生にも「めちゃくちゃ子宮切るから術後は痛いと思うよ~もしかしたら2ヶ月は痛いかも」と言われていたが、まだ無理はできないものの幸い1ヶ月ちょっとで痛みも落ち着いてきてくれた。

それでも、術後3週間くらいは痛みが結構強く、なかなか思うように動けない日々が続いて、正直GWの旅行も厳しいかも…なんて不安になっていたのですが、どうにかなりそう。よかった。
(退院してすぐに打首獄門同好会の武道館ワンマンにも気合いでどうにか行こうと思っていたが、こちらはさすがに無理だった。無念)

でも、正直少し甘く見ていた。
腹腔鏡=楽というイメージがやはりあったので、1週間もすればだいぶ動けるかな~なんて思っていたのだがとんでもない。

硬膜外麻酔(背中に刺すやつ)があれば多少術後の痛みは違ったのかもしれないが、手術前日に確認するとしないと言う。てっきりするものだと思っていた私は「えっそうなんですか」と拍子抜けし、「希望すればできると思うけどどうする?」と言われたものの「皆さんもそうならじゃあ…」という感じでなしで挑んだんですが、いや~~~痛い、痛かったっす。

最初はもわ~んとした生理痛のような痛み(まだ軽い)で麻酔から覚めるんですけど、その直後からものすごい勢いで襲ってくる痛み。ダイレクトな言い方するけど、膣から子宮にかけてもう突き上げるような刺すような痛みに。そして、その状態で「自力でベッドに移ってくださ~い」と促され、嘘だろ…と思いながらもなんとか脚の力で寝たまま移動。

移動しながら担当医に「取った腫瘍見たい~?」と言われたけど、いやいやこのタイミングで聞くの。見たいけど痛くてそれどころではない。「見たいけどいまは無理です」と声を振り絞って伝える。

今回私はICUには入らず直自室戻りだったのですが、移動中ももちろん痛い。そして戻ってすぐ、「ご家族の方呼んでも大丈夫ですか?」って確認されたけどいやいや無理だよ無理無理。痛すぎる。

生理痛ひどいときに横向きで膝を抱えるような感じにするとちょっと和らいだりするあの原理でその体勢になり、看護師さんも確認できずに目をつぶって「無理です」と言う私。できればしたくなかった座薬もそれどころじゃなくなりプライドなんて投げ出して即お願いしました。

少し経つと気持ち痛みが和らいで、さっきの看護師さんと同じ状態で家族と少し話して翌朝までただ待つだけの地獄タイムが開始。

前回脳外科手術では6時間ほどの手術でも麻酔覚醒後吐き気はなかった私でしたが、今回(3時間半)はダメだった。4~5回は戻しました。
でもどっちかと言うと、麻酔による吐き気というよりは子宮からの痛みに誘発されての吐き気のように感じた。生理痛が痛すぎると吐き気しませんか(私は実際に戻したこともある)、あの感じ。

なので吐き気は辛かったもののその中でも腹腔鏡のよさはあって、体勢を変えるのもえづくのもお腹に力を入れてもそこまで影響がなかったのは助かりました。
まあ開腹ならさすがに硬膜外麻酔入るのかなって思うから、少なくとも術後すぐは痛みコントロールしてもらえるのだと思いますが…。ちなみに座薬はその後もう一度挿れた。

今回は体勢を変えるのが自力でそこそこできたので、前回よりは翌朝までの道のりがそこまで辛くなかった。前回は看護師さんにお願いしないと体勢も変えられないし、ICUのベッドも合わなくて手術したところよりも腰の痛みが辛過ぎましたからね。病室のパラマウントベッドは偉大なんですよ、ほんと。あと鼻から胃までのチューブ。あれはトラウマレベルで辛いです。

朝になるとベッドのリクライニングで上体ももう起こせて、午後には尿管も外れて自力でトイレまで行くことができました。


ここまで書いてなんだかキリ的にどこまで書いていいかわからなくなり、あとで見返してもう一度考えようなんて思っていたら1週間経っていた(汗)

1週間が経過して、今はほぼ普通の状態まで戻ってきました。
たま〜にお腹の傷や子宮が痛んだりしますが、自転車に乗っても大丈夫だし、術前にリュープリンで止めていた生理も無事きて、傷だらけの子宮ながらも頑張ってくれているんだなあとしみじみ思ったりもした。

今日まで怖くて締め付け感のあるボトムスはまだ履いてないんですが、これが普通に履けるようになったら本調子という感じかなと勝手ながら思ってます。

コンプレックスをぶっ飛ばせ

甲高い女性ボーカルの歌が昔から苦手なんですが、初めてと言っていいほどその類のガールズバンドを好きになった。

もう結構話題沸騰中の、CHAI


CHAI『N.E.O.』Official Music Video


最初は能町みね子さんのツイッターで知ったのだけど、そのときはまた「それ系」のバンドか~なんて思ってスルーしていた。でも、改めてちゃんとPVと一緒に聴いてみたらめちゃくちゃいい。

みんな、そのままでいれたらいいよね。
悩むなんてね、ふつうのことだよ。
だもんで、そのネガティブ、ポジティブで、ポガティブ。
オーイェイ!!
コンプレックスは、個性なり。
コンプレックスは、アートなり。
かわいいは、ネバーエンディングジャーニー!
エンジョイ。

by CHAI

引用:CHAI『N.E.O.』Official Music Video - YouTube

 
PVに綴られたコメント、もうこれだけで心鷲掴み。
30代女の心にもズキュンズキュンきてしまったんだけど、これ、10代の女の子にはもうそれどころじゃなく魅力的なんじゃないだろうか。

どことなくY.M.Oや矢野顕子さんを彷彿とさせるところもあるのだけど、この生の音がほんといい。すごい骨太なグルーヴ感。


CHAI - N.E.O. [YouTube Music Sessions]


よすぎてめちゃめちゃリピートしました。
PV(CD音源)だとかわいいイメージが上なんだけど、ライブになった途端にすっごいかっこいい曲に聴こえる。こ、これは生で聴いた方がいいやつだZ…!
調べたら昨年には全米8都市ツアーを開催し、すでにフジロックにも出演していた。納得。

とにかく彼女たちのメッセージやスタイル、作り出す世界観がとてもいい!
アルバムもチェックしなきゃだぜ。

PINK※CDのみ

PINK※CDのみ